旦那の脳梗塞日記 その3 [ダンナの脳梗塞体験記]
2月2日(土)点滴が今日で終わる。このころから、容態が安定してきたかと思えたので、私もパート的な仕事をしているため、2.3日に一度洗濯物を取りにいくだけになっています。仕事が休みの土日はいつも行きましたが。
2月5日(火)午後から頭のMRI。血液が固まらないようにする薬「ワーファリン」を1日2錠飲むことになった。
2月7日(木)3階(急性期病棟)から4階(療養期病棟)に移動。食事は基本的に、同じ階の食堂まで歩いていき、患者の皆さんと一緒に食べる。3階のときは、食堂もあったけれど席も少なく、食事は部屋のベッドで食べたりもしていた。
2月14日(木) 足のリハビリ(PT)40分する。リハビリの単位は1単位20分なので2単位ってことです。
2月19日(火) 医師の回診で握力を測る。麻痺側の左5kg、健常側の右25kg。成人男性としてもともと握力は少ないほう
2月21日(木)旦那は、当初、対人コミュニケーションは問題なさそうということで、言語のリハビリはいままでしていませんでした。が、リハビリ時間の勘違いや、看護師の指示などがわかっていない様子が見えたので、言語のリハビリ(ST)開始。手のリハビリ(OT)もしている。足(PT)もあわせ、リハビリのフルコース。
3月1日(金)このころのリハビリのスケジュール。
11時 PT(足)歩く練習。手すりにつかまって階段の上り下り、
自転車こぎ(スポーツクラブにあるような、走らないもの)
など。
13時30分 ST(言語)カンタンなパズルをする。カンタンな問題
(小1くらいのドリル程度?)を考えて解くなど。
15時30分 OT(手)せんたくばさみを1個ずつ木の棒にはさんで、
20個くらいできたら、またひとつずつはずして戻す。
木の棒に、ひもで蝶結びをして、20本くらいできたら、
またほどく。おはじきを1個ずつ指でつまんで、貯金箱の
穴に入れる。木の台に1センチ間隔くらいで
碁盤の目のようにたくさん穴が開いているところに、
順番に虫ピンを立てる、など。
手のリハビリは、旦那は麻痺した左手が思うように動かせずに、なかなかうまくできず、いらいらすることも多かったようです。
3月のはじめころから、頭も少しすっきりしてきた感じがしました。
3月9日(土)初めての外泊許可が出て、久しぶりに自宅に戻る。車に乗るのも久しぶりだったせいか、車酔いしました。ちょっとぼーっとして、病人っぽいです。病院だと寝てばかりいるので、自宅でもやはり横になりたがる。
この後退院まで週末ごとに自宅に外泊しました。このころ、本人は、病院に戻るのはいやだけど、でも病院にいるほうがラク、自宅にいると疲れる・・・みたいな気分でした。
4月になると、頭もずいぶんとまともっぽくなってきて、退院したくてたまらない気持ちなのに、左手の動きが悪いので、なかなか退院していい、と言われずにイライラする旦那。
いろいろありましたが、4月28日に退院することができました。約3ヶ月でした。足はほぼ問題なく、杖もなしでゆっくりですが歩くことができ、頭もほぼすっきり、しゃべり方もゆっくりめだけど普通。(もともとしゃべり方はおっとり型)顔の左側が少し引きつった感じかな。左手の麻痺は多少ある、という感じです。手のリハビリは通院で週に1度通うことになりました。
2月5日(火)午後から頭のMRI。血液が固まらないようにする薬「ワーファリン」を1日2錠飲むことになった。
2月7日(木)3階(急性期病棟)から4階(療養期病棟)に移動。食事は基本的に、同じ階の食堂まで歩いていき、患者の皆さんと一緒に食べる。3階のときは、食堂もあったけれど席も少なく、食事は部屋のベッドで食べたりもしていた。
2月14日(木) 足のリハビリ(PT)40分する。リハビリの単位は1単位20分なので2単位ってことです。
2月19日(火) 医師の回診で握力を測る。麻痺側の左5kg、健常側の右25kg。成人男性としてもともと握力は少ないほう
2月21日(木)旦那は、当初、対人コミュニケーションは問題なさそうということで、言語のリハビリはいままでしていませんでした。が、リハビリ時間の勘違いや、看護師の指示などがわかっていない様子が見えたので、言語のリハビリ(ST)開始。手のリハビリ(OT)もしている。足(PT)もあわせ、リハビリのフルコース。
3月1日(金)このころのリハビリのスケジュール。
11時 PT(足)歩く練習。手すりにつかまって階段の上り下り、
自転車こぎ(スポーツクラブにあるような、走らないもの)
など。
13時30分 ST(言語)カンタンなパズルをする。カンタンな問題
(小1くらいのドリル程度?)を考えて解くなど。
15時30分 OT(手)せんたくばさみを1個ずつ木の棒にはさんで、
20個くらいできたら、またひとつずつはずして戻す。
木の棒に、ひもで蝶結びをして、20本くらいできたら、
またほどく。おはじきを1個ずつ指でつまんで、貯金箱の
穴に入れる。木の台に1センチ間隔くらいで
碁盤の目のようにたくさん穴が開いているところに、
順番に虫ピンを立てる、など。
手のリハビリは、旦那は麻痺した左手が思うように動かせずに、なかなかうまくできず、いらいらすることも多かったようです。
3月のはじめころから、頭も少しすっきりしてきた感じがしました。
3月9日(土)初めての外泊許可が出て、久しぶりに自宅に戻る。車に乗るのも久しぶりだったせいか、車酔いしました。ちょっとぼーっとして、病人っぽいです。病院だと寝てばかりいるので、自宅でもやはり横になりたがる。
この後退院まで週末ごとに自宅に外泊しました。このころ、本人は、病院に戻るのはいやだけど、でも病院にいるほうがラク、自宅にいると疲れる・・・みたいな気分でした。
4月になると、頭もずいぶんとまともっぽくなってきて、退院したくてたまらない気持ちなのに、左手の動きが悪いので、なかなか退院していい、と言われずにイライラする旦那。
いろいろありましたが、4月28日に退院することができました。約3ヶ月でした。足はほぼ問題なく、杖もなしでゆっくりですが歩くことができ、頭もほぼすっきり、しゃべり方もゆっくりめだけど普通。(もともとしゃべり方はおっとり型)顔の左側が少し引きつった感じかな。左手の麻痺は多少ある、という感じです。手のリハビリは通院で週に1度通うことになりました。
旦那の脳梗塞日記 現在のようす [ダンナの脳梗塞体験記]
現在の主人の状態を書きます。
幸い処置が早かったせいか、うちの旦那の場合、見た目には、大きな後遺症は残っていない感じです。
退院直後の写真を見ると、なんか、顔つきが普通の人よりぼーっとした印象でした。顔の左側もゆがんでいました。今は左のゆがみはなおって、普通の顔つきになりました。左手の握力が弱い。約8kgくらい。麻痺がなかった右も25kgで、もともと握力はないほうです。やはり左の動きが悪いので、靴紐を結ぶなど、細かい動作はしにくいようです。
左手を触ると、なんとなく右手よりもひんやりして、血色も悪い。血のめぐりが悪い感じはします。歩き方が少しぎこちなく、遅い感じはするものの、歩くのは問題ありません。階段も上り下りできますが、バランス感覚がおかしいらしく、降りるとき怖がる。エスカレーターの下りに乗れなくて、階段で降りてきます。山登りが趣味ですが、やはり、下りが怖いかんじがするそうで。
無理しないで、もっとゆっくり様子を見たら...と強く勧めたのですが、本人があせる気持ちもあり、昨年5月連休あけから会社に出勤。工場勤務でフルタイムでした。
そのあと、縁があって転職し、今はデスクワークでフルタイムで働いています。退院後、免許センターで運転可能か判断してもらい、OKが出たので、車の運転もしています。許可が出るまでは、本人も運転に自信がないと言って、旦那の通勤時に私が送り迎えしていたので、これは本当に助かりました。
余談ですが、新潟県免許センターには、きっとすごい最新型の、この人は車を運転しても大丈夫かどうかを、判断できる装置があるんだろうなぁたぶん、ドライブシュミレーターみたいなので運転させてみるとかと思って行ったんです。そうしたら、地下の1室に通され、そこにあったものは、30年前くらい前のものとおぼしき、自動車の運転席だけと古そうなバイク。
「その運転席に座って、アクセル踏めます?あ、OKですね。じゃあバイクはまたがれる?じゃ、大丈夫ですね。」こんな感じであっさり運転が出まして。あまりのカンタンさに驚いた・・・次の4月に免許更新ですが、ここで確認が取れているので、そのときは何も問題はないそうです。
昨年の1月から4月末まで入院。幸い足は回復が早く、すぐに歩けるようになり、リハビリ室でPTの療法士の指示で走って、ほかのリハビリ中の患者さんたちをびっくりさせていました。
飲んでいる薬は、データ改ざんで有名になった血圧の薬「ディオバン」1日1錠と、血栓予防のために、血液を固まりにくくする薬「ワーファリン」1日5錠です。ワーファリンは、納豆を食べると薬の効果がなくなるため、納豆は食べられなくなりました。出血すると血が固まりにくいため、怪我には注意が必要です。
幸い処置が早かったせいか、うちの旦那の場合、見た目には、大きな後遺症は残っていない感じです。
退院直後の写真を見ると、なんか、顔つきが普通の人よりぼーっとした印象でした。顔の左側もゆがんでいました。今は左のゆがみはなおって、普通の顔つきになりました。左手の握力が弱い。約8kgくらい。麻痺がなかった右も25kgで、もともと握力はないほうです。やはり左の動きが悪いので、靴紐を結ぶなど、細かい動作はしにくいようです。
左手を触ると、なんとなく右手よりもひんやりして、血色も悪い。血のめぐりが悪い感じはします。歩き方が少しぎこちなく、遅い感じはするものの、歩くのは問題ありません。階段も上り下りできますが、バランス感覚がおかしいらしく、降りるとき怖がる。エスカレーターの下りに乗れなくて、階段で降りてきます。山登りが趣味ですが、やはり、下りが怖いかんじがするそうで。
無理しないで、もっとゆっくり様子を見たら...と強く勧めたのですが、本人があせる気持ちもあり、昨年5月連休あけから会社に出勤。工場勤務でフルタイムでした。
そのあと、縁があって転職し、今はデスクワークでフルタイムで働いています。退院後、免許センターで運転可能か判断してもらい、OKが出たので、車の運転もしています。許可が出るまでは、本人も運転に自信がないと言って、旦那の通勤時に私が送り迎えしていたので、これは本当に助かりました。
余談ですが、新潟県免許センターには、きっとすごい最新型の、この人は車を運転しても大丈夫かどうかを、判断できる装置があるんだろうなぁたぶん、ドライブシュミレーターみたいなので運転させてみるとかと思って行ったんです。そうしたら、地下の1室に通され、そこにあったものは、30年前くらい前のものとおぼしき、自動車の運転席だけと古そうなバイク。
「その運転席に座って、アクセル踏めます?あ、OKですね。じゃあバイクはまたがれる?じゃ、大丈夫ですね。」こんな感じであっさり運転が出まして。あまりのカンタンさに驚いた・・・次の4月に免許更新ですが、ここで確認が取れているので、そのときは何も問題はないそうです。
昨年の1月から4月末まで入院。幸い足は回復が早く、すぐに歩けるようになり、リハビリ室でPTの療法士の指示で走って、ほかのリハビリ中の患者さんたちをびっくりさせていました。
飲んでいる薬は、
旦那の脳梗塞日記 その2 [ダンナの脳梗塞体験記]
ずいぶん、続きを書くのに間があいてしまいました。が、きょう現在のところ入院初日の記事に、5200を超えるアクセスがあり、ありがとうございます。うちの主人の場合は、脳梗塞のほんの1例に過ぎませんが、すこしでも、ほかの方の参考になればと思います。
昨年、2013年1月20日、脳梗塞で入院したうちの主人、当時52歳でした。体形は身長169センチ、58キロくらい。普通からやせ体形。メタボではない。会社の健康診断で時々「心房細動」とか「不整脈」とか出ていましたが、心臓のことで病院にいったことはなし。しいて言えば高血圧で通院、薬を30代から薬を飲んでいました。心臓にできた血栓が脳の血管に詰まった「心原性脳梗塞」でした。太い血管が詰まるため、脳の広範囲に影響を与え、重症になりやすいタイプです。
入院2日目からの経過を書きます。
1月21日(月)主人の会社にわけを話し、しばらく休む連絡をしました。 主人の父と主人の姉と私の3人で病院へ行きました。昨日のようにしきりにベッドから起こしてくれ起こしてくれというのはおさまり、落ち着いたかんじです。トイレは尿瓶で。午前中、さっそくリハビリの人が病室に来て、ベッドの上で麻痺した足をゆっくり曲げたり伸ばしたりしてくれました。この日、左手は指一本としてまったく自力で動かせず、左足は何とか少し自分で曲げられるようです。そのあと車椅子にすわってうつむいてしょんぼりしている姿を見ると哀れな様子でした。2日前まではなんともなかったのに・・・。きのうは丸1日食事なし、朝も食事なし。「腹減ったから、売店から何か買ってきて」と頼まれるも、看護師に聞いたところ、「お昼から病院食が出ます」とのこと。お昼ごはん、嬉しそうに食べていました。口も半分左側が麻痺しているので、水やお茶はそのまま飲めなくて、とろみをつけたものを飲まなければなりません。幸い麻痺したのは左側で、右利きなので、はしやスプーンが苦労なく使えてよかったです。右がやられていたら、その後リハビリ、トイレ、お風呂に入るなども、もっと大変だったでしょう。この日の夜、トイレに自力で行こうとしてベッドから落ちたらしいです。次の日、私が病院に行ったら、ベッドの横にマットがしいてありました。
脳梗塞は早く気づいて病院に着くと、発症から4時間半以内のみ使える、詰まった血栓を溶かす「t‐PA」という薬が使えるのですが、うちの主人はそれは使わなかったようです。治療は、手術はなく、点滴のみで「エダラボン30mg 100ml」「カタクロット80mg 生食100ml」「ニコリンH1g ソルコセリル4ml ハルトマン500ml」という薬を使っていました。2週間ずっと朝晩同じ点滴をしました。内心、「点滴治療だけで、ほんとに大丈夫なんだろうかと思いました。しかし、そこは脳外科専門病院なので、いろいろな人の治療をしてるはずです。もうお任せするしかないと思いました。
1月22日(火) トイレは車椅子で移動。左手動かない。左足は持ち上げるとずいぶん上まで上がるようになった。午前中、足のリハビリ「PT」があった。
1月23日(水) ナースセンター付近の小部屋から、4人部屋へ移動。左手、少し握ることができる。足のリハビリで杖を持って歩く。病院のお風呂の日。全介助が必要。
1月25日(金) リハビリで杖を持って歩く。階段を5段くらい上り下りする。
1月28日(月) トイレのとき、杖を持って、点滴したまま自分で歩いていく(看護師の付き添いあり)
1月29日(火) 杖なしで少し歩く。血圧90‐50。入院してから高血圧の薬を飲んでいないのに、血圧がとても低い。
1月30日(水)血液サラサラのための薬「プラビックス」を飲むことになった。
1月31日(木)病院のお風呂に一人ではいる。来週MRIを撮ると言われる。そろそろ水分のとろみをやめてもむせなくなった。
昨年、2013年1月20日、脳梗塞で入院したうちの主人、当時52歳でした。体形は身長169センチ、58キロくらい。普通からやせ体形。メタボではない。会社の健康診断で時々「心房細動」とか「不整脈」とか出ていましたが、心臓のことで病院にいったことはなし。しいて言えば高血圧で通院、薬を30代から薬を飲んでいました。心臓にできた血栓が脳の血管に詰まった「心原性脳梗塞」でした。太い血管が詰まるため、脳の広範囲に影響を与え、重症になりやすいタイプです。
入院2日目からの経過を書きます。
1月21日(月)主人の会社にわけを話し、しばらく休む連絡をしました。 主人の父と主人の姉と私の3人で病院へ行きました。昨日のようにしきりにベッドから起こしてくれ起こしてくれというのはおさまり、落ち着いたかんじです。トイレは尿瓶で。午前中、さっそくリハビリの人が病室に来て、ベッドの上で麻痺した足をゆっくり曲げたり伸ばしたりしてくれました。この日、左手は指一本としてまったく自力で動かせず、左足は何とか少し自分で曲げられるようです。そのあと車椅子にすわってうつむいてしょんぼりしている姿を見ると哀れな様子でした。2日前まではなんともなかったのに・・・。きのうは丸1日食事なし、朝も食事なし。「腹減ったから、売店から何か買ってきて」と頼まれるも、看護師に聞いたところ、「お昼から病院食が出ます」とのこと。お昼ごはん、嬉しそうに食べていました。口も半分左側が麻痺しているので、水やお茶はそのまま飲めなくて、とろみをつけたものを飲まなければなりません。幸い麻痺したのは左側で、右利きなので、はしやスプーンが苦労なく使えてよかったです。右がやられていたら、その後リハビリ、トイレ、お風呂に入るなども、もっと大変だったでしょう。この日の夜、トイレに自力で行こうとしてベッドから落ちたらしいです。次の日、私が病院に行ったら、ベッドの横にマットがしいてありました。
脳梗塞は早く気づいて病院に着くと、発症から4時間半以内のみ使える、詰まった血栓を溶かす「t‐PA」という薬が使えるのですが、うちの主人はそれは使わなかったようです。治療は、手術はなく、点滴のみで「エダラボン30mg 100ml」「カタクロット80mg 生食100ml」「ニコリンH1g ソルコセリル4ml ハルトマン500ml」という薬を使っていました。2週間ずっと朝晩同じ点滴をしました。内心、「点滴治療だけで、ほんとに大丈夫なんだろうかと思いました。しかし、そこは脳外科専門病院なので、いろいろな人の治療をしてるはずです。もうお任せするしかないと思いました。
1月22日(火) トイレは車椅子で移動。左手動かない。左足は持ち上げるとずいぶん上まで上がるようになった。午前中、足のリハビリ「PT」があった。
1月23日(水) ナースセンター付近の小部屋から、4人部屋へ移動。左手、少し握ることができる。足のリハビリで杖を持って歩く。病院のお風呂の日。全介助が必要。
1月25日(金) リハビリで杖を持って歩く。階段を5段くらい上り下りする。
1月28日(月) トイレのとき、杖を持って、点滴したまま自分で歩いていく(看護師の付き添いあり)
1月29日(火) 杖なしで少し歩く。血圧90‐50。入院してから高血圧の薬を飲んでいないのに、血圧がとても低い。
1月30日(水)血液サラサラのための薬「プラビックス」を飲むことになった。
1月31日(木)病院のお風呂に一人ではいる。来週MRIを撮ると言われる。そろそろ水分のとろみをやめてもむせなくなった。
旦那が脳梗塞で入院中です [ダンナの脳梗塞体験記]
2013年1月20日(日)早朝でした。
午前5時20分ごろ、隣で寝ている主人が「うー、うー」と言って、なんかじたばたしています。
彼は、結構、夜、うなされたりしていることがあるので、寝ていた私はまたそうかと思い、「何?」と言ったのです。そしたら、ろれつが回らない状態で「トイレ行きたいけど、起きられないから、手を引っ張って起こしてくれ」というのですビックリして飛び起き、電気をつけると寝転がったままじたばたしている旦那の姿。右手をつかんで立たせようとするものの、なんか体の左側に力が入ってない様子。うちの旦那は普通体形の成人男性ですが、本人の起きようとする協力なしに、女の力では持ち上げられず。「こりゃまずいとなんとなくわかり、とりあえず旦那は放置。一緒に寝ていた子供も起きたので、自分と子供のトイレを済ませました。そして同居の旦那ハハ(ぷくばあ)に「旦那の様子おかしいんだけど、救急車呼んでいいか?」と聞きました。寝ていたぷくばあも、あわてて様子を見に来て、じたばたしている旦那の様子を確認。
旦那本人は、意識もありまして、「大丈夫、救急車、呼ばなくても大丈夫だから。」って言うんだけど、やっぱり、何度やっても自分で立ち上がれないのはおかしいので、ぷくばあが「呼んでいい。」と言うので救急に電話。「ろれつが回らない、体が左側の手足が動かない。」と伝えました。声が震えました。救急車を呼んだら近所迷惑とか考えたけど、一刻を争う時だから、そんなこと言ってられません
救急車で病院に行く場合、付添うのは私なので、急いで着替え、とりあえず旦那の保険証を持ち、お金を用意して待っていると、救急車到着。
救急隊の人が4人来て、状態を確認し、すぐに隣の市の脳外科病院に搬送することになりました。
旦那はテキパキと担架に乗せられて、家の前には50から60センチほど雪があり、ちょっと道幅が狭いところを運ばれて救急車に乗せられました。私も乗り、出発。旦那は「トイレに行きたい」というので車内で携帯簡易トイレに用を足そうとしたのですが、寝ている状態で、救急隊の人もいるし、うまくできず、病院まで我慢だったようです。ずっと意識はありました。高速を使い、脳外科病院に到着。たぶんここで午前6時40分か50分くらいだったと思います。
旦那の様子がおかしいと思った時、なぜ様子を見ないですぐ救急車を呼んだかと言うと「まえぶれ」があったから。去年2012年5月ごろ、仕事中に一時ろれつが回らなくなったり、手がしびれた時があったらしいのです。その時はすぐに治って、大したことないと本人は思っていたらしいです。私はインターネットで調べた。そうしたら、そんな症状のあった時は、脳梗塞を疑い、一度、脳外科で検査をしたほうがいいと書いてあったので、「脳外科に行って調べたほうがいいよ。」とすすめ、病院の時間とか調べて旦那に教えていました。でも、彼は行かなかったのです。わざわざ、平日の昼間、仕事を休んでまで行くことない、とか脳外科なんか行くの嫌だ、とか大したことないから平気とか、考えたのかもしれません。私も、あれから半年くらい経ったし、なんともないから大丈夫かな・・・と思っていたときにこうなったので、もうとにかく、救急車すぐに呼ばないとと考えました。
旦那は処置室に運ばれ、私は待合室で一人待つしかありません。日曜日の早朝なので、とっても静か。看護師さんが、「たぶん入院になりますので、これ、読んどいてください。」と入院案内をくれたのを読んだり、「ここにサインしてください。」と言われてサインしたり書類を書いたりしている間に、旦那はCTを撮ったり、処置を受けたりしたと思われます。
そうこうしているうちに医師の説明。CT画像を見ながら「脳梗塞(のうこうそく)です。」とはっきり言われました。あー、やっぱりか。脳の太い血管が右側の途中でつまり、その先が黒くなって血が流れていない図です。
最近の映像は立体的に表示されて、すごいです。「入院して、手術はしません。点滴の治療とリハビリをします。何らかの障害が残る可能性が高い。」という説明でした。「入院期間は1週間くらいですか?」と聞いたら「いやあ、〇か月単位ですよ。」と言うのでびっくりそんなに休んだら、仕事どうするんだ1か月から2カ月の間らしいです。
その時旦那は、紙おむつで、下のみ病院のパジャマに着替えさせてもらっていました。(失禁しちゃったのです)そして、看護師さんに「起き上がるとだめですよ、寝ててください。」(ベッドから落ちると危ないため、点滴もしているし)と言われているのに、「起こしてくれ、手を引っ張ってくれ」と言って、何度も何度も起きようとするのです。(この日はこれがずっと続きました)
その後、午前9時ごろ?病室に移動。ナースステーションのすぐ前の部屋です。とりあえずここで家に電話、状況説明。ベッドから落ちるとけがをする恐れがあり危険なため、手をベッドのさくにひもで縛られました・・・かわいそうだけど、安全のためなので仕方がないです。(家族の同意の上での処置)クリップみたいなものをパジャマにつけ、あんまり動くとブザーが鳴り、看護師さんがやってくる監視装置も付けられました。
またそれから入院の書類を書いたり、実家の父に連絡したら幸いすぐに来てくれたので、ちょっと頼んで必要なものを買い出しに行ったりして、お昼過ぎに父に送ってもらい、家に帰りました。朝から何も食べてなかったので、父にお昼もおごってもらい、ありがたかったです
入院初日はこんな感じでした。
状態:ろれつが回らない、左手、左足とも動かない(麻痺)、目つきも少し変?な感じ、何度制止しても起き上がろうとする
午前5時20分ごろ、隣で寝ている主人が「うー、うー」と言って、なんかじたばたしています。
彼は、結構、夜、うなされたりしていることがあるので、寝ていた私はまたそうかと思い、「何?」と言ったのです。そしたら、ろれつが回らない状態で「トイレ行きたいけど、起きられないから、手を引っ張って起こしてくれ」というのですビックリして飛び起き、電気をつけると寝転がったままじたばたしている旦那の姿。右手をつかんで立たせようとするものの、なんか体の左側に力が入ってない様子。うちの旦那は普通体形の成人男性ですが、本人の起きようとする協力なしに、女の力では持ち上げられず。「こりゃまずいとなんとなくわかり、とりあえず旦那は放置。一緒に寝ていた子供も起きたので、自分と子供のトイレを済ませました。そして同居の旦那ハハ(ぷくばあ)に「旦那の様子おかしいんだけど、救急車呼んでいいか?」と聞きました。寝ていたぷくばあも、あわてて様子を見に来て、じたばたしている旦那の様子を確認。
旦那本人は、意識もありまして、「大丈夫、救急車、呼ばなくても大丈夫だから。」って言うんだけど、やっぱり、何度やっても自分で立ち上がれないのはおかしいので、ぷくばあが「呼んでいい。」と言うので救急に電話。「ろれつが回らない、体が左側の手足が動かない。」と伝えました。声が震えました。救急車を呼んだら近所迷惑とか考えたけど、一刻を争う時だから、そんなこと言ってられません
救急車で病院に行く場合、付添うのは私なので、急いで着替え、とりあえず旦那の保険証を持ち、お金を用意して待っていると、救急車到着。
救急隊の人が4人来て、状態を確認し、すぐに隣の市の脳外科病院に搬送することになりました。
旦那はテキパキと担架に乗せられて、家の前には50から60センチほど雪があり、ちょっと道幅が狭いところを運ばれて救急車に乗せられました。私も乗り、出発。旦那は「トイレに行きたい」というので車内で携帯簡易トイレに用を足そうとしたのですが、寝ている状態で、救急隊の人もいるし、うまくできず、病院まで我慢だったようです。ずっと意識はありました。高速を使い、脳外科病院に到着。たぶんここで午前6時40分か50分くらいだったと思います。
旦那の様子がおかしいと思った時、なぜ様子を見ないですぐ救急車を呼んだかと言うと「まえぶれ」があったから。去年2012年5月ごろ、仕事中に一時ろれつが回らなくなったり、手がしびれた時があったらしいのです。その時はすぐに治って、大したことないと本人は思っていたらしいです。私はインターネットで調べた。そうしたら、そんな症状のあった時は、脳梗塞を疑い、一度、脳外科で検査をしたほうがいいと書いてあったので、「脳外科に行って調べたほうがいいよ。」とすすめ、病院の時間とか調べて旦那に教えていました。でも、彼は行かなかったのです。わざわざ、平日の昼間、仕事を休んでまで行くことない、とか脳外科なんか行くの嫌だ、とか大したことないから平気とか、考えたのかもしれません。私も、あれから半年くらい経ったし、なんともないから大丈夫かな・・・と思っていたときにこうなったので、もうとにかく、救急車すぐに呼ばないとと考えました。
旦那は処置室に運ばれ、私は待合室で一人待つしかありません。日曜日の早朝なので、とっても静か。看護師さんが、「たぶん入院になりますので、これ、読んどいてください。」と入院案内をくれたのを読んだり、「ここにサインしてください。」と言われてサインしたり書類を書いたりしている間に、旦那はCTを撮ったり、処置を受けたりしたと思われます。
そうこうしているうちに医師の説明。CT画像を見ながら「脳梗塞(のうこうそく)です。」とはっきり言われました。あー、やっぱりか。脳の太い血管が右側の途中でつまり、その先が黒くなって血が流れていない図です。
最近の映像は立体的に表示されて、すごいです。「入院して、手術はしません。点滴の治療とリハビリをします。何らかの障害が残る可能性が高い。」という説明でした。「入院期間は1週間くらいですか?」と聞いたら「いやあ、〇か月単位ですよ。」と言うのでびっくりそんなに休んだら、仕事どうするんだ1か月から2カ月の間らしいです。
その時旦那は、紙おむつで、下のみ病院のパジャマに着替えさせてもらっていました。(失禁しちゃったのです)そして、看護師さんに「起き上がるとだめですよ、寝ててください。」(ベッドから落ちると危ないため、点滴もしているし)と言われているのに、「起こしてくれ、手を引っ張ってくれ」と言って、何度も何度も起きようとするのです。(この日はこれがずっと続きました)
その後、午前9時ごろ?病室に移動。ナースステーションのすぐ前の部屋です。とりあえずここで家に電話、状況説明。ベッドから落ちるとけがをする恐れがあり危険なため、手をベッドのさくにひもで縛られました・・・かわいそうだけど、安全のためなので仕方がないです。(家族の同意の上での処置)クリップみたいなものをパジャマにつけ、あんまり動くとブザーが鳴り、看護師さんがやってくる監視装置も付けられました。
またそれから入院の書類を書いたり、実家の父に連絡したら幸いすぐに来てくれたので、ちょっと頼んで必要なものを買い出しに行ったりして、お昼過ぎに父に送ってもらい、家に帰りました。朝から何も食べてなかったので、父にお昼もおごってもらい、ありがたかったです
入院初日はこんな感じでした。
状態:ろれつが回らない、左手、左足とも動かない(麻痺)、目つきも少し変?な感じ、何度制止しても起き上がろうとする