ドコモ ケータイ払い(ご利用代金/継続課金)の内容、確認して! [愚痴です]
皆さん大体スマホを使ってるこのご時勢に、我が家は夫婦ともdocomoのガラケー使いです。
ケータイ代は、二人で月6000円ほど。
明細はネットで確認してます。
そのなかに、ドコモ ケータイ払い(ご利用代金/継続課金)というのがあり、私は648円、旦那は972円払っています。
また、月々サポートというので-621円になっています。
何のお金払ってるかわからないままにしていたのですが、ケータイ代を見直すため調べてみたら、このドコモ ケータイ払い(ご利用代金/継続課金)は、端末を機種変更したときdocomoショップで、端末代を割り引く代わりに5個くらいコンテンツに契約させられたものの一部だったということが判明
「1ヶ月したら解約していいです」ってことで契約して、当然1ヵ月後速攻でコンテンツは解約。マイメニューで確認して、契約の表示がなくなったのでそれでOKと思っていたら、マイメニューに出ないけど、解約されてないコンテンツがあり、それを毎月払ってた、ということでした。
ええーっマイメニューに載ってないのに、契約されてるコンテンツがあるなんてひどい
ものすごくだまされた気分です。確認不足といえばそうですが
ガラケーのiモードから確認する方法は下記です。
iMenu→お客様サポート→料金確認・診断→料金の確認・お支払い→ 商品等購入履歴→ドコモ ケータイ払い→購入履歴→継続課金利用確認
わかったものはすぐに解約しました。
夫婦で何ヶ月も、毎月約1500円も払わなくていいお金をdocomoに払ってたなんて悔しすぎるので
投稿しときます
ケータイ代は、二人で月6000円ほど。
明細はネットで確認してます。
そのなかに、ドコモ ケータイ払い(ご利用代金/継続課金)というのがあり、私は648円、旦那は972円払っています。
また、月々サポートというので-621円になっています。
何のお金払ってるかわからないままにしていたのですが、ケータイ代を見直すため調べてみたら、このドコモ ケータイ払い(ご利用代金/継続課金)は、端末を機種変更したときdocomoショップで、端末代を割り引く代わりに5個くらいコンテンツに契約させられたものの一部だったということが判明
「1ヶ月したら解約していいです」ってことで契約して、当然1ヵ月後速攻でコンテンツは解約。マイメニューで確認して、契約の表示がなくなったのでそれでOKと思っていたら、マイメニューに出ないけど、解約されてないコンテンツがあり、それを毎月払ってた、ということでした。
ええーっマイメニューに載ってないのに、契約されてるコンテンツがあるなんてひどい
ものすごくだまされた気分です。確認不足といえばそうですが
ガラケーのiモードから確認する方法は下記です。
iMenu→お客様サポート→料金確認・診断→料金の確認・お支払い→ 商品等購入履歴→ドコモ ケータイ払い→購入履歴→継続課金利用確認
わかったものはすぐに解約しました。
夫婦で何ヶ月も、毎月約1500円も払わなくていいお金をdocomoに払ってたなんて悔しすぎるので
投稿しときます
運動会が終わりました! [日記・つぶやき]
五月最後の土曜日、小学校の運動会が無事終わりました。
ぷく5年生、まる3年生。
午前中は薄曇りであまり暑くなく、お昼から午後にかけて急激に晴れて気温が上がりました。
うちの方面は過疎化が激しく、児童数が少ないため、隣の小学校と合同で運動会をします。
会場も一年ごとに交互の学校で行います。
今年はA小学校で行い、来年はB小学校で行う。
別の学校のグラウンドで運動会ってのも、たまにはいいなという感じですが。
あの運動会のはじめの、鼓笛隊の演奏を聞くと、なつかしくて、運動会らしいなと思います
応援合戦、徒競走、親子競技、玉入れやら綱引きやらリレーやら盛りだくさん。
お昼は応援に来たおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、小さな兄弟たちとみんなで
お弁当食べて。
また午後の競技を頑張って。
自分も子供のころ、やったこと。だけど。自分が親になってわかる、平凡な幸せ、 みたいなものを感じましたね。
今年は、赤組と白組に一人づつ分かれたので、どっちが勝ってもでしたが、競技優勝 赤、応援優勝 赤 でした。
白組はどっちも負けせめて応援は優勝 白にしてあげればいいんじゃないと思ったことでした。
ぷく5年生、まる3年生。
午前中は薄曇りであまり暑くなく、お昼から午後にかけて急激に晴れて気温が上がりました。
うちの方面は過疎化が激しく、児童数が少ないため、隣の小学校と合同で運動会をします。
会場も一年ごとに交互の学校で行います。
今年はA小学校で行い、来年はB小学校で行う。
別の学校のグラウンドで運動会ってのも、たまにはいいなという感じですが。
あの運動会のはじめの、鼓笛隊の演奏を聞くと、なつかしくて、運動会らしいなと思います
応援合戦、徒競走、親子競技、玉入れやら綱引きやらリレーやら盛りだくさん。
お昼は応援に来たおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん、小さな兄弟たちとみんなで
お弁当食べて。
また午後の競技を頑張って。
自分も子供のころ、やったこと。だけど。自分が親になってわかる、平凡な幸せ、 みたいなものを感じましたね。
今年は、赤組と白組に一人づつ分かれたので、どっちが勝ってもでしたが、競技優勝 赤、応援優勝 赤 でした。
白組はどっちも負けせめて応援は優勝 白にしてあげればいいんじゃないと思ったことでした。
ぷく、ぜんそく [育児]
2015年も、始まりましたね。
小学校も8日から3学期。もうすぐ3年生と1年生も終わりに近くなってきます。
ところで、長男、「ぷく」現在9歳半の小3は、2歳から小児喘息持ち
弟の「まる」が生まれる直前に喘息になり、私が帝王切開のために入院してるときは、夫の母が病院に連れてって点滴したりしていました。ということで、2歳から喘息の予防の薬を毎日飲み、家に「マイ吸入器」があって、吸入薬を毎朝毎晩5分ずつ吸入するのがお約束でした。
でも、せきで苦しいときは、かかりつけ医(車で1時間かかる)にすぐに病院に連れてって点滴しないといけなくて。血管が細くてなかなか針が入らなくて3回くらい針刺されて、かわいそうだったときもあったなあ。子供だし動くし泣くし、看護師さんも大変そうでしたが。
最近、体も成長し、保育園のときよりは、ちょっと発作(咳)もよくなってきたかな・・・と思うと、やっぱりちょこちょこ咳が出ます。なぜか低気圧や台風が来ると咳が出やすいのが不思議。
吸入の機械が壊れたので、医師に相談したら、自分でひゅーっと吸い込む吸入薬で対応できるだろうということで、この1ヶ月ほどは「マイ吸入器」での吸入毎朝毎晩5分ずつ、はなくなり、ちょっと簡単になりました
今日は近所の日帰り温泉に行ったのですが、風呂→ざるそば→アイス→(冷えた・・・)→帰宅後、家の庭で雪遊び(冷えた・・・)・・・で夕方咳出る出る
午後7時ごろ吸入薬を吸ったら、咳が止まってすこし楽になって、寝る前にせきどめの貼り薬と飲み薬を飲んで8時に寝ました。ひどいときは寝付いたな・・・と思っても、9時前後苦しくて咳き込んで起きる、ひどいときは咳き込みすぎて吐くという感じなんですが、今夜は静かに寝ています明日、病院行かずにすむことを祈ります。
小学校も8日から3学期。もうすぐ3年生と1年生も終わりに近くなってきます。
ところで、長男、「ぷく」現在9歳半の小3は、2歳から小児喘息持ち
弟の「まる」が生まれる直前に喘息になり、私が帝王切開のために入院してるときは、夫の母が病院に連れてって点滴したりしていました。ということで、2歳から喘息の予防の薬を毎日飲み、家に「マイ吸入器」があって、吸入薬を毎朝毎晩5分ずつ吸入するのがお約束でした。
でも、せきで苦しいときは、かかりつけ医(車で1時間かかる)にすぐに病院に連れてって点滴しないといけなくて。血管が細くてなかなか針が入らなくて3回くらい針刺されて、かわいそうだったときもあったなあ。子供だし動くし泣くし、看護師さんも大変そうでしたが。
最近、体も成長し、保育園のときよりは、ちょっと発作(咳)もよくなってきたかな・・・と思うと、やっぱりちょこちょこ咳が出ます。なぜか低気圧や台風が来ると咳が出やすいのが不思議。
吸入の機械が壊れたので、医師に相談したら、自分でひゅーっと吸い込む吸入薬で対応できるだろうということで、この1ヶ月ほどは「マイ吸入器」での吸入毎朝毎晩5分ずつ、はなくなり、ちょっと簡単になりました
今日は近所の日帰り温泉に行ったのですが、風呂→ざるそば→アイス→(冷えた・・・)→帰宅後、家の庭で雪遊び(冷えた・・・)・・・で夕方咳出る出る
午後7時ごろ吸入薬を吸ったら、咳が止まってすこし楽になって、寝る前にせきどめの貼り薬と飲み薬を飲んで8時に寝ました。ひどいときは寝付いたな・・・と思っても、9時前後苦しくて咳き込んで起きる、ひどいときは咳き込みすぎて吐くという感じなんですが、今夜は静かに寝ています明日、病院行かずにすむことを祈ります。
プールの困り者:こどものみすいぼ [育児]
みずいぼ。痛くもかゆくもない水ぶくれが、いつの間にか体にできている。特に治療はしなくても、時間がたてば自然に治る。これの最大の問題は、ほかの子に移ること。プールのとき、問題なんですよね
我が家は、まず下からかかりました。次男、「まる」は2年前の保育園年中児のとき、背中にぽちっと4個くらいできました。皮膚科と保育園に相談した結果、ピンセットで取ると結構痛いし、まあ治療しなくても自然に治るものだから、直接背中を出さないで、ラッシュガード(日焼け防止のために着る水着の上着ようなもの)を着れば水遊びということで。
でもね、毎日のように水遊びしたら、みずいぼの数がふえた20個ほどに。
水遊びの季節が過ぎたら、自然と数も減って直ったけれど、ちょっとみずいぼのあとが、ぺこんとへこんでいる。男の子だし、背中だから本人見えないからいいかぁー、と思っている。
そして、それから2年後の今年、こんどは小3の長男、「ぷく」の左のおしりに10個ほどできた。膚科と小学校に相談したけれど、やっぱり小学校は保育園より対応がキビシく、「ほかの子に移るといけないし、本人のためでもあるので、みずいぼは取ってください。」と言われた。皮膚科で「ペンレス」という貼る麻酔テープ(効果は3時間ほど)をあらかじめもらっておき、取る日に家からテープを水いぼに貼って病院に行き、外来で医師がピンセットで取る。という流れ。意外と痛くなかったと子供が言っていました。泣きもせず暴れもせず。この子は割と怖がりなんですが、おしりだから、医師が処置するところが見えなくて、かえって良かったのかも。10分くらいで終了。その後、一つだけなんかじくじくしていたけれど、1ヶ月ほど塗り薬を塗っていたらやっと直りました。
我が家は、まず下からかかりました。次男、「まる」は2年前の保育園年中児のとき、背中にぽちっと4個くらいできました。皮膚科と保育園に相談した結果、ピンセットで取ると結構痛いし、まあ治療しなくても自然に治るものだから、直接背中を出さないで、ラッシュガード(日焼け防止のために着る水着の上着ようなもの)を着れば水遊びということで。
でもね、毎日のように水遊びしたら、みずいぼの数がふえた20個ほどに。
水遊びの季節が過ぎたら、自然と数も減って直ったけれど、ちょっとみずいぼのあとが、ぺこんとへこんでいる。男の子だし、背中だから本人見えないからいいかぁー、と思っている。
そして、それから2年後の今年、こんどは小3の長男、「ぷく」の左のおしりに10個ほどできた。膚科と小学校に相談したけれど、やっぱり小学校は保育園より対応がキビシく、「ほかの子に移るといけないし、本人のためでもあるので、みずいぼは取ってください。」と言われた。皮膚科で「ペンレス」という貼る麻酔テープ(効果は3時間ほど)をあらかじめもらっておき、取る日に家からテープを水いぼに貼って病院に行き、外来で医師がピンセットで取る。という流れ。意外と痛くなかったと子供が言っていました。泣きもせず暴れもせず。この子は割と怖がりなんですが、おしりだから、医師が処置するところが見えなくて、かえって良かったのかも。10分くらいで終了。その後、一つだけなんかじくじくしていたけれど、1ヶ月ほど塗り薬を塗っていたらやっと直りました。
旦那の脳梗塞日記 その3 [ダンナの脳梗塞体験記]
2月2日(土)点滴が今日で終わる。このころから、容態が安定してきたかと思えたので、私もパート的な仕事をしているため、2.3日に一度洗濯物を取りにいくだけになっています。仕事が休みの土日はいつも行きましたが。
2月5日(火)午後から頭のMRI。血液が固まらないようにする薬「ワーファリン」を1日2錠飲むことになった。
2月7日(木)3階(急性期病棟)から4階(療養期病棟)に移動。食事は基本的に、同じ階の食堂まで歩いていき、患者の皆さんと一緒に食べる。3階のときは、食堂もあったけれど席も少なく、食事は部屋のベッドで食べたりもしていた。
2月14日(木) 足のリハビリ(PT)40分する。リハビリの単位は1単位20分なので2単位ってことです。
2月19日(火) 医師の回診で握力を測る。麻痺側の左5kg、健常側の右25kg。成人男性としてもともと握力は少ないほう
2月21日(木)旦那は、当初、対人コミュニケーションは問題なさそうということで、言語のリハビリはいままでしていませんでした。が、リハビリ時間の勘違いや、看護師の指示などがわかっていない様子が見えたので、言語のリハビリ(ST)開始。手のリハビリ(OT)もしている。足(PT)もあわせ、リハビリのフルコース。
3月1日(金)このころのリハビリのスケジュール。
11時 PT(足)歩く練習。手すりにつかまって階段の上り下り、
自転車こぎ(スポーツクラブにあるような、走らないもの)
など。
13時30分 ST(言語)カンタンなパズルをする。カンタンな問題
(小1くらいのドリル程度?)を考えて解くなど。
15時30分 OT(手)せんたくばさみを1個ずつ木の棒にはさんで、
20個くらいできたら、またひとつずつはずして戻す。
木の棒に、ひもで蝶結びをして、20本くらいできたら、
またほどく。おはじきを1個ずつ指でつまんで、貯金箱の
穴に入れる。木の台に1センチ間隔くらいで
碁盤の目のようにたくさん穴が開いているところに、
順番に虫ピンを立てる、など。
手のリハビリは、旦那は麻痺した左手が思うように動かせずに、なかなかうまくできず、いらいらすることも多かったようです。
3月のはじめころから、頭も少しすっきりしてきた感じがしました。
3月9日(土)初めての外泊許可が出て、久しぶりに自宅に戻る。車に乗るのも久しぶりだったせいか、車酔いしました。ちょっとぼーっとして、病人っぽいです。病院だと寝てばかりいるので、自宅でもやはり横になりたがる。
この後退院まで週末ごとに自宅に外泊しました。このころ、本人は、病院に戻るのはいやだけど、でも病院にいるほうがラク、自宅にいると疲れる・・・みたいな気分でした。
4月になると、頭もずいぶんとまともっぽくなってきて、退院したくてたまらない気持ちなのに、左手の動きが悪いので、なかなか退院していい、と言われずにイライラする旦那。
いろいろありましたが、4月28日に退院することができました。約3ヶ月でした。足はほぼ問題なく、杖もなしでゆっくりですが歩くことができ、頭もほぼすっきり、しゃべり方もゆっくりめだけど普通。(もともとしゃべり方はおっとり型)顔の左側が少し引きつった感じかな。左手の麻痺は多少ある、という感じです。手のリハビリは通院で週に1度通うことになりました。
2月5日(火)午後から頭のMRI。血液が固まらないようにする薬「ワーファリン」を1日2錠飲むことになった。
2月7日(木)3階(急性期病棟)から4階(療養期病棟)に移動。食事は基本的に、同じ階の食堂まで歩いていき、患者の皆さんと一緒に食べる。3階のときは、食堂もあったけれど席も少なく、食事は部屋のベッドで食べたりもしていた。
2月14日(木) 足のリハビリ(PT)40分する。リハビリの単位は1単位20分なので2単位ってことです。
2月19日(火) 医師の回診で握力を測る。麻痺側の左5kg、健常側の右25kg。成人男性としてもともと握力は少ないほう
2月21日(木)旦那は、当初、対人コミュニケーションは問題なさそうということで、言語のリハビリはいままでしていませんでした。が、リハビリ時間の勘違いや、看護師の指示などがわかっていない様子が見えたので、言語のリハビリ(ST)開始。手のリハビリ(OT)もしている。足(PT)もあわせ、リハビリのフルコース。
3月1日(金)このころのリハビリのスケジュール。
11時 PT(足)歩く練習。手すりにつかまって階段の上り下り、
自転車こぎ(スポーツクラブにあるような、走らないもの)
など。
13時30分 ST(言語)カンタンなパズルをする。カンタンな問題
(小1くらいのドリル程度?)を考えて解くなど。
15時30分 OT(手)せんたくばさみを1個ずつ木の棒にはさんで、
20個くらいできたら、またひとつずつはずして戻す。
木の棒に、ひもで蝶結びをして、20本くらいできたら、
またほどく。おはじきを1個ずつ指でつまんで、貯金箱の
穴に入れる。木の台に1センチ間隔くらいで
碁盤の目のようにたくさん穴が開いているところに、
順番に虫ピンを立てる、など。
手のリハビリは、旦那は麻痺した左手が思うように動かせずに、なかなかうまくできず、いらいらすることも多かったようです。
3月のはじめころから、頭も少しすっきりしてきた感じがしました。
3月9日(土)初めての外泊許可が出て、久しぶりに自宅に戻る。車に乗るのも久しぶりだったせいか、車酔いしました。ちょっとぼーっとして、病人っぽいです。病院だと寝てばかりいるので、自宅でもやはり横になりたがる。
この後退院まで週末ごとに自宅に外泊しました。このころ、本人は、病院に戻るのはいやだけど、でも病院にいるほうがラク、自宅にいると疲れる・・・みたいな気分でした。
4月になると、頭もずいぶんとまともっぽくなってきて、退院したくてたまらない気持ちなのに、左手の動きが悪いので、なかなか退院していい、と言われずにイライラする旦那。
いろいろありましたが、4月28日に退院することができました。約3ヶ月でした。足はほぼ問題なく、杖もなしでゆっくりですが歩くことができ、頭もほぼすっきり、しゃべり方もゆっくりめだけど普通。(もともとしゃべり方はおっとり型)顔の左側が少し引きつった感じかな。左手の麻痺は多少ある、という感じです。手のリハビリは通院で週に1度通うことになりました。
旦那の脳梗塞日記 現在のようす [ダンナの脳梗塞体験記]
現在の主人の状態を書きます。
幸い処置が早かったせいか、うちの旦那の場合、見た目には、大きな後遺症は残っていない感じです。
退院直後の写真を見ると、なんか、顔つきが普通の人よりぼーっとした印象でした。顔の左側もゆがんでいました。今は左のゆがみはなおって、普通の顔つきになりました。左手の握力が弱い。約8kgくらい。麻痺がなかった右も25kgで、もともと握力はないほうです。やはり左の動きが悪いので、靴紐を結ぶなど、細かい動作はしにくいようです。
左手を触ると、なんとなく右手よりもひんやりして、血色も悪い。血のめぐりが悪い感じはします。歩き方が少しぎこちなく、遅い感じはするものの、歩くのは問題ありません。階段も上り下りできますが、バランス感覚がおかしいらしく、降りるとき怖がる。エスカレーターの下りに乗れなくて、階段で降りてきます。山登りが趣味ですが、やはり、下りが怖いかんじがするそうで。
無理しないで、もっとゆっくり様子を見たら...と強く勧めたのですが、本人があせる気持ちもあり、昨年5月連休あけから会社に出勤。工場勤務でフルタイムでした。
そのあと、縁があって転職し、今はデスクワークでフルタイムで働いています。退院後、免許センターで運転可能か判断してもらい、OKが出たので、車の運転もしています。許可が出るまでは、本人も運転に自信がないと言って、旦那の通勤時に私が送り迎えしていたので、これは本当に助かりました。
余談ですが、新潟県免許センターには、きっとすごい最新型の、この人は車を運転しても大丈夫かどうかを、判断できる装置があるんだろうなぁたぶん、ドライブシュミレーターみたいなので運転させてみるとかと思って行ったんです。そうしたら、地下の1室に通され、そこにあったものは、30年前くらい前のものとおぼしき、自動車の運転席だけと古そうなバイク。
「その運転席に座って、アクセル踏めます?あ、OKですね。じゃあバイクはまたがれる?じゃ、大丈夫ですね。」こんな感じであっさり運転が出まして。あまりのカンタンさに驚いた・・・次の4月に免許更新ですが、ここで確認が取れているので、そのときは何も問題はないそうです。
昨年の1月から4月末まで入院。幸い足は回復が早く、すぐに歩けるようになり、リハビリ室でPTの療法士の指示で走って、ほかのリハビリ中の患者さんたちをびっくりさせていました。
飲んでいる薬は、データ改ざんで有名になった血圧の薬「ディオバン」1日1錠と、血栓予防のために、血液を固まりにくくする薬「ワーファリン」1日5錠です。ワーファリンは、納豆を食べると薬の効果がなくなるため、納豆は食べられなくなりました。出血すると血が固まりにくいため、怪我には注意が必要です。
幸い処置が早かったせいか、うちの旦那の場合、見た目には、大きな後遺症は残っていない感じです。
退院直後の写真を見ると、なんか、顔つきが普通の人よりぼーっとした印象でした。顔の左側もゆがんでいました。今は左のゆがみはなおって、普通の顔つきになりました。左手の握力が弱い。約8kgくらい。麻痺がなかった右も25kgで、もともと握力はないほうです。やはり左の動きが悪いので、靴紐を結ぶなど、細かい動作はしにくいようです。
左手を触ると、なんとなく右手よりもひんやりして、血色も悪い。血のめぐりが悪い感じはします。歩き方が少しぎこちなく、遅い感じはするものの、歩くのは問題ありません。階段も上り下りできますが、バランス感覚がおかしいらしく、降りるとき怖がる。エスカレーターの下りに乗れなくて、階段で降りてきます。山登りが趣味ですが、やはり、下りが怖いかんじがするそうで。
無理しないで、もっとゆっくり様子を見たら...と強く勧めたのですが、本人があせる気持ちもあり、昨年5月連休あけから会社に出勤。工場勤務でフルタイムでした。
そのあと、縁があって転職し、今はデスクワークでフルタイムで働いています。退院後、免許センターで運転可能か判断してもらい、OKが出たので、車の運転もしています。許可が出るまでは、本人も運転に自信がないと言って、旦那の通勤時に私が送り迎えしていたので、これは本当に助かりました。
余談ですが、新潟県免許センターには、きっとすごい最新型の、この人は車を運転しても大丈夫かどうかを、判断できる装置があるんだろうなぁたぶん、ドライブシュミレーターみたいなので運転させてみるとかと思って行ったんです。そうしたら、地下の1室に通され、そこにあったものは、30年前くらい前のものとおぼしき、自動車の運転席だけと古そうなバイク。
「その運転席に座って、アクセル踏めます?あ、OKですね。じゃあバイクはまたがれる?じゃ、大丈夫ですね。」こんな感じであっさり運転が出まして。あまりのカンタンさに驚いた・・・次の4月に免許更新ですが、ここで確認が取れているので、そのときは何も問題はないそうです。
昨年の1月から4月末まで入院。幸い足は回復が早く、すぐに歩けるようになり、リハビリ室でPTの療法士の指示で走って、ほかのリハビリ中の患者さんたちをびっくりさせていました。
飲んでいる薬は、
旦那の脳梗塞日記 その2 [ダンナの脳梗塞体験記]
ずいぶん、続きを書くのに間があいてしまいました。が、きょう現在のところ入院初日の記事に、5200を超えるアクセスがあり、ありがとうございます。うちの主人の場合は、脳梗塞のほんの1例に過ぎませんが、すこしでも、ほかの方の参考になればと思います。
昨年、2013年1月20日、脳梗塞で入院したうちの主人、当時52歳でした。体形は身長169センチ、58キロくらい。普通からやせ体形。メタボではない。会社の健康診断で時々「心房細動」とか「不整脈」とか出ていましたが、心臓のことで病院にいったことはなし。しいて言えば高血圧で通院、薬を30代から薬を飲んでいました。心臓にできた血栓が脳の血管に詰まった「心原性脳梗塞」でした。太い血管が詰まるため、脳の広範囲に影響を与え、重症になりやすいタイプです。
入院2日目からの経過を書きます。
1月21日(月)主人の会社にわけを話し、しばらく休む連絡をしました。 主人の父と主人の姉と私の3人で病院へ行きました。昨日のようにしきりにベッドから起こしてくれ起こしてくれというのはおさまり、落ち着いたかんじです。トイレは尿瓶で。午前中、さっそくリハビリの人が病室に来て、ベッドの上で麻痺した足をゆっくり曲げたり伸ばしたりしてくれました。この日、左手は指一本としてまったく自力で動かせず、左足は何とか少し自分で曲げられるようです。そのあと車椅子にすわってうつむいてしょんぼりしている姿を見ると哀れな様子でした。2日前まではなんともなかったのに・・・。きのうは丸1日食事なし、朝も食事なし。「腹減ったから、売店から何か買ってきて」と頼まれるも、看護師に聞いたところ、「お昼から病院食が出ます」とのこと。お昼ごはん、嬉しそうに食べていました。口も半分左側が麻痺しているので、水やお茶はそのまま飲めなくて、とろみをつけたものを飲まなければなりません。幸い麻痺したのは左側で、右利きなので、はしやスプーンが苦労なく使えてよかったです。右がやられていたら、その後リハビリ、トイレ、お風呂に入るなども、もっと大変だったでしょう。この日の夜、トイレに自力で行こうとしてベッドから落ちたらしいです。次の日、私が病院に行ったら、ベッドの横にマットがしいてありました。
脳梗塞は早く気づいて病院に着くと、発症から4時間半以内のみ使える、詰まった血栓を溶かす「t‐PA」という薬が使えるのですが、うちの主人はそれは使わなかったようです。治療は、手術はなく、点滴のみで「エダラボン30mg 100ml」「カタクロット80mg 生食100ml」「ニコリンH1g ソルコセリル4ml ハルトマン500ml」という薬を使っていました。2週間ずっと朝晩同じ点滴をしました。内心、「点滴治療だけで、ほんとに大丈夫なんだろうかと思いました。しかし、そこは脳外科専門病院なので、いろいろな人の治療をしてるはずです。もうお任せするしかないと思いました。
1月22日(火) トイレは車椅子で移動。左手動かない。左足は持ち上げるとずいぶん上まで上がるようになった。午前中、足のリハビリ「PT」があった。
1月23日(水) ナースセンター付近の小部屋から、4人部屋へ移動。左手、少し握ることができる。足のリハビリで杖を持って歩く。病院のお風呂の日。全介助が必要。
1月25日(金) リハビリで杖を持って歩く。階段を5段くらい上り下りする。
1月28日(月) トイレのとき、杖を持って、点滴したまま自分で歩いていく(看護師の付き添いあり)
1月29日(火) 杖なしで少し歩く。血圧90‐50。入院してから高血圧の薬を飲んでいないのに、血圧がとても低い。
1月30日(水)血液サラサラのための薬「プラビックス」を飲むことになった。
1月31日(木)病院のお風呂に一人ではいる。来週MRIを撮ると言われる。そろそろ水分のとろみをやめてもむせなくなった。
昨年、2013年1月20日、脳梗塞で入院したうちの主人、当時52歳でした。体形は身長169センチ、58キロくらい。普通からやせ体形。メタボではない。会社の健康診断で時々「心房細動」とか「不整脈」とか出ていましたが、心臓のことで病院にいったことはなし。しいて言えば高血圧で通院、薬を30代から薬を飲んでいました。心臓にできた血栓が脳の血管に詰まった「心原性脳梗塞」でした。太い血管が詰まるため、脳の広範囲に影響を与え、重症になりやすいタイプです。
入院2日目からの経過を書きます。
1月21日(月)主人の会社にわけを話し、しばらく休む連絡をしました。 主人の父と主人の姉と私の3人で病院へ行きました。昨日のようにしきりにベッドから起こしてくれ起こしてくれというのはおさまり、落ち着いたかんじです。トイレは尿瓶で。午前中、さっそくリハビリの人が病室に来て、ベッドの上で麻痺した足をゆっくり曲げたり伸ばしたりしてくれました。この日、左手は指一本としてまったく自力で動かせず、左足は何とか少し自分で曲げられるようです。そのあと車椅子にすわってうつむいてしょんぼりしている姿を見ると哀れな様子でした。2日前まではなんともなかったのに・・・。きのうは丸1日食事なし、朝も食事なし。「腹減ったから、売店から何か買ってきて」と頼まれるも、看護師に聞いたところ、「お昼から病院食が出ます」とのこと。お昼ごはん、嬉しそうに食べていました。口も半分左側が麻痺しているので、水やお茶はそのまま飲めなくて、とろみをつけたものを飲まなければなりません。幸い麻痺したのは左側で、右利きなので、はしやスプーンが苦労なく使えてよかったです。右がやられていたら、その後リハビリ、トイレ、お風呂に入るなども、もっと大変だったでしょう。この日の夜、トイレに自力で行こうとしてベッドから落ちたらしいです。次の日、私が病院に行ったら、ベッドの横にマットがしいてありました。
脳梗塞は早く気づいて病院に着くと、発症から4時間半以内のみ使える、詰まった血栓を溶かす「t‐PA」という薬が使えるのですが、うちの主人はそれは使わなかったようです。治療は、手術はなく、点滴のみで「エダラボン30mg 100ml」「カタクロット80mg 生食100ml」「ニコリンH1g ソルコセリル4ml ハルトマン500ml」という薬を使っていました。2週間ずっと朝晩同じ点滴をしました。内心、「点滴治療だけで、ほんとに大丈夫なんだろうかと思いました。しかし、そこは脳外科専門病院なので、いろいろな人の治療をしてるはずです。もうお任せするしかないと思いました。
1月22日(火) トイレは車椅子で移動。左手動かない。左足は持ち上げるとずいぶん上まで上がるようになった。午前中、足のリハビリ「PT」があった。
1月23日(水) ナースセンター付近の小部屋から、4人部屋へ移動。左手、少し握ることができる。足のリハビリで杖を持って歩く。病院のお風呂の日。全介助が必要。
1月25日(金) リハビリで杖を持って歩く。階段を5段くらい上り下りする。
1月28日(月) トイレのとき、杖を持って、点滴したまま自分で歩いていく(看護師の付き添いあり)
1月29日(火) 杖なしで少し歩く。血圧90‐50。入院してから高血圧の薬を飲んでいないのに、血圧がとても低い。
1月30日(水)血液サラサラのための薬「プラビックス」を飲むことになった。
1月31日(木)病院のお風呂に一人ではいる。来週MRIを撮ると言われる。そろそろ水分のとろみをやめてもむせなくなった。
次男、「まる」卒園しました [育児]
この3月吉日、とうとう次男の「まる」が、保育園を卒園しました。
毎日お弁当だったので、長男から合わせて6年のお弁当作りと、バス停までの送り迎えがなくなり、楽になりうれしいです。
田舎っていうか過疎地域、なので、子供も人数が少なく、最後の1年間は二つの保育園が統合になって初めての1年、ということで、先生方や保護者も、突然いっしょになったこどもたちも、4月は不安もありました。が、意外と子供同士はすぐになじんで、仲良くやれたようです
それまでも、交流保育で行き来があり、運動会と卒園式は合同でしていたので、まったく知らない同士ではなかったのも、よかったと思います。
去年までは合同卒園式のため、別の会場だった卒園式を、今年は保育園で行いました。
式の参加も3・4・5歳児(卒園児)のみだったのが、未満児クラスも参加になりました。(人数が少ないため)
いつも通っていた保育園でのほうが、暖かい感じがして、よかったです。
卒園証書を壇上でもらい、ふりむいて一人ひとりが、「おおきくなったら、☆☆になりたいです!訳は、★★だからです」と発表し、階段を下りて、待っている母に「お母さん、毎日〇〇してくれてありがとう」と言い、母涙でした。大きくなったね
保育園行事のセリフもたくさん覚えて話ました。生まれた時はあんなに小さくて、何もできなかったのに、すごいなあと思いました。
4月から、小学生になります。元気で頑張ってほしいと願います
毎日お弁当だったので、長男から合わせて6年のお弁当作りと、バス停までの送り迎えがなくなり、楽になりうれしいです。
田舎っていうか過疎地域、なので、子供も人数が少なく、最後の1年間は二つの保育園が統合になって初めての1年、ということで、先生方や保護者も、突然いっしょになったこどもたちも、4月は不安もありました。が、意外と子供同士はすぐになじんで、仲良くやれたようです
それまでも、交流保育で行き来があり、運動会と卒園式は合同でしていたので、まったく知らない同士ではなかったのも、よかったと思います。
去年までは合同卒園式のため、別の会場だった卒園式を、今年は保育園で行いました。
式の参加も3・4・5歳児(卒園児)のみだったのが、未満児クラスも参加になりました。(人数が少ないため)
いつも通っていた保育園でのほうが、暖かい感じがして、よかったです。
卒園証書を壇上でもらい、ふりむいて一人ひとりが、「おおきくなったら、☆☆になりたいです!訳は、★★だからです」と発表し、階段を下りて、待っている母に「お母さん、毎日〇〇してくれてありがとう」と言い、母涙でした。大きくなったね
保育園行事のセリフもたくさん覚えて話ました。生まれた時はあんなに小さくて、何もできなかったのに、すごいなあと思いました。
4月から、小学生になります。元気で頑張ってほしいと願います
タグ:卒園 入学 小学生